手越くんのファンとして思うこと

 

 

手越君の事務所退所報道があってから今日まで、様々な思いがありました。ありすぎて、まったく整理がつかないまま1ヶ月が経過しその間も様々な出来事がありました。

 

 

手越君は自分の人生第一章に区切りをつけたと言いました。

ならば私も、ジャニーズのNEWSの手越祐也と区切りをつけなければと思い自分の気持ちを残すことにしました。

 

 

 

 

6月19日に退所報道があって、その日のうちに手越君はTwitterを開設。

 

おいおい待て待て???まだ3人の動画見てから時間経ってないんだが???現実受け入れられてないし、なんなら今日までジャニーズだよな???いくらなんでも速度についていけないよ手越君????せめて泣かせて????

 

 

 

それが発表後の率直な気持ちでした。悲しみも怒りも戸惑いすらも与えさせない速度で手越君は進み始めました。

 

 

 

そして緊急記者会見では、久しぶりに動いて話す手越君に心から安堵しました。しかもビジュアル最高。顔面最高。

内容は賛否があるのは当然だけれど、ファンとしては手越君の話す内容は理解ができるものだったのでとにかく幸せになってほしい、変わらず応援したいと思いました。

(まぁ、相変わらず話くそ長いけどな!!!!)

 

 

その後はTLにいるはずのない手越君が登場。本人から最高級の顔面の自撮り写真や動画(意味の分からない歌付き)が供給される日々。Youtubeやインスタグラムも開設され、生配信も定期的に開催されました。様々な企画を考えてくれている様子もあり、それまでもやもやとしていた気持ちも手越君の明るい笑顔を見れば晴れていくといったようなことを繰り返していました。

 

 

だけどNEWSも大好きな私は、突如すごい速さで歩き出した手越君にもついていくのが必死だし、3人のファンミーティングや動画配信も見させてもらったけれど、楽しい反面大好きな場所に大好きな人の笑顔がない切なさもありました。どちらにも居場所がなく、宙ぶらりんのような気持ちにもなっていました。

 

ワイドショーでは変わらず手越君に批判的なコメンテーターの意見が飛び交っていて。しかたない、時間が解決することもあると思っていました。

 

 

そして今回手越君は著書を出版。

帯を見た時から疑問に思うことはあったけれど、手越君が動画内で「自分の歴史として自己啓発本のような形で出版をしたかった。これを読んでみんながポジティブになってもらえたら嬉しい」という旨を話していたので、世間では暴露本と騒がれていたけどとりあえず手にして読まなきゃ本質が見えないなと思いました。

 

実際に手にして読んでみて。率直な感想は「だいぶ話過ぎたな」でした。

 

私は手越君が著書の中で名前を出した後輩のファンでもあります。

彼は手越君を昔から慕っていて、彼が歌で闘いたいと思うようになったきっかけは手越君だとも話しています。また、歌だけではなく手越君のメンタルまさに「スーパーポジティブ」なところにも憧れを抱いているようでした。

 

彼のページを読んで正直、一度怒りを覚えました。

なぜあれだけ慕っている彼のことをこんなふうに話してしまったのか。他のジャニーズとあまり交流も持たずコンサートや舞台にも足を運ばない手越君が、彼のライブや舞台には足を運んでくれていたし、ご飯に連れていき楽曲まで提供して可愛がってくれていたのに。なんでこんなひどいことを言うんだろう。

 

 

 

そんなふうに思いショックを受けました。しかし冷静になって再度目を通すと、ジャニーズのデビューに対する高齢化について話したかったのではと思いました。

 

 

10代のうちにデビューをした手越君は、デビューした人にしかわからない様々な経験をしてきたし、その経験が糧となって今の手越祐也がいる。

しかし、20代後半でデビューした人は自分が10代のうちから積み上げてきたものを経験する時間が圧倒的に遅くそして短く、年齢もその分重ねていく。若いうちにデビューできていれば人気や知名度も若いうちから爆発的にあがったかもしれないが、年齢を重ねるとその分難しさが増してしまう。せっかくスターになれる実力があるのにもったいない。

 

 

 

憶測ではありますが、私はこのように言葉を解釈をしました。

まあ、それを言われたところで彼にはどうにもできないことですし、手越君もだからこそ頑張ってほしいと本当は伝えたかったのではと思いました。手越君は自分に関わった人を下げるようなことをする人ではないことは理解しているので、こう解釈したことで自分の腑に落とすことができました。

 

 

しかしこれは、私が手越君のファンであるからこそできる手越くんの言葉を解釈するという作業だと思います。

 

 

手越君のファンの私でも、一度さらっと読んだだけでは腹が立ってしまったのです。手越君に興味のない人、好意的ではない人、「手越君の話す意図を汲み取ろう」という気持ちのない人からしたら、ただ上から目線に言いたいことだけ言われたと思われてもしかたないのかなぁと思いました。そして大多数がそこに該当する人のなのだと思います。ましてや、一部分だけ切り取られたものを読んだだけでは真意なんてわからないし理解されるわけがありません。でもそれが世間というものだと思いました。

 

 

だからといって、必要以上の批判が手越君にもダイレクトに届いてしまっていること、あえて届ける人がいることは悲しくてなりません。批判と意見は違うはずだし、手越君は今回のファンミーティングや著書の件のように「意見」はわかるし聞き入れる人だと思っています。

 

 

いろんな声が良くも悪くも届きやすくなったため、あまりにも心配な時は意見として声を上げて伝えていくことも大切なのかなと思っています。もちろん伝え方には気をつけないといけないけれど、それが手越君の話す、みんなで作る手越祐也なのではと思います。

 

 

手越君は昔からとても不器用な人です。言いたいことをストレートに言いすぎて周囲から集中的に批判されるということは、今回が初めてではないし、NEWSのために敢えてそのような振る舞いをしてきた点もあったと思っています。

 

NEWSのメンバーのエピソードについても、他の手越君のファンの方も話している通り、既出のエピソードではありました。昔からのファンならば知っているような話です。

ただ、4人体制の時代にファンになった方や他のグループのファンからすると知らない方も当然いるし、知っていたとしても文章だけで読むととても強い表現もあるため上から目線だと思われてしまうのだと思います。手越君は言葉選びも上手ではないし、何度も言いますが表現が真っすぐ「すぎる」ため、受けて側が言いたいことの真意を解釈したり、自分で消化する作業が必要になってしまうと私は思っています。

 

 

 

きっと、そういう手越君の不器用で突っ走りすぎてしまう面を、3人はいつもカバーし守ってくれていたんだと、つくづく感じています。

 

他の先輩後輩の箇所にしても女性芸能人の箇所についても、話す内容を精査することが必要だったことや、いくら今までの報道を訂正したかったとはいえ全てを話す必要がなかったと思っています。それはあくまでも手越君の考え、想いであり相手の想いを考える・汲み取るということが欠けていたようにも感じています。

 

 

ただ、手越君がそこまでして事実を話したかった訂正したかったというのは、今までの報道や噂で苦しめられてきたからこそであり、そういう行動をするからだと言われてしまえばしかたないかもしれませんが、無責任な報道や噂の怖さも改めて感じました。

 

 

 

 

手越君を好きでいるということは、私にとってはとても幸せです。

だけど、10代の頃は全力で好きな気持ちを貫いてこれたけれど、最近は時々休憩をしないと気持ちが疲れてしまうこともあります。

今までもずっとそうして15年近く手越君のおたくをやってきました。

それが、私が抱く手越くんへの好きという気持ちとの向き合い方なのです。

 

 

そして、なぜ手越が好きなの?とよく聞かれてもきました。あんなチャラい奴のどこがいいの??チャラい系が好きなんだ〜!!

これは鉄板です。

 

 

好きな理由を聞かれても私は、「しかたないじゃん好きなんだから」としか言いません。手越君への好きにもはや理由をつけられないからです。

 

 

私は本来なら、こんな破天荒な人のファンを続けられるほどの器量もないし、もともと手越君が破天荒だから好きになったわけでもありません。

私が好きになった頃は黒髪のお芋(めちゃくちゃかわいい天使)でした。端で控えめに笑う美少年で、抜群に歌が上手かった。手越君の歌が聞きたくてだから私は好きになりました。

 

 

今まで何度も「今回こそはもう無理かもしれん」と思いました。

だけど、呆れても泣いても怒っても嫌いになるという感情はうまれませんでした。

 

 

手越君の笑顔や歌声もはや存在がわたしの元気の源であることは文字通り間違いありません。

今回の退所でも、会見を見るまでは毎日自然に涙がこぼれ、苦しくて悲しくてしかたがありませんでした。あ、これは相当落ちてるわと自分でも自覚していました。

だけど手越君の顔を見て言葉を聞くと気持ちが落ち着くのです。それは昔から変わりません。

 

 

本当は手越君にはずっとNEWSでいてほしかった。ずっとテゴマスで一緒に歌ってほしかった。慶ちゃんを兄のように慕い、シゲと切磋琢磨してほしかった。

 

いつも NEWSが新曲を発売するたびにわくわくしていました。メンバーがテレビに出るたびに録画して楽しみに見ていました。そうやって私の宝物は増えていきました。

 

 

NEWSが4人で再出発をした時、久しぶりにNEWSのCDを手にした時の嬉しくてしかたのなかった高揚する気持ち、秩父宮初日に真っ白な衣装で現れた4人の姿を今でも鮮明に思い出します。

あの時、本当に嬉しかった。心からNEWSについてきてよかったと思った。あれ以上に泣いたライブはありません。

 

 

本当はずっとグループを守る側の人でいてほしかった。

 

 

だけど心のどこかでは、何年も前からいつかこんな日が来ることを予期していました。来ないで欲しいと思いながら。

 

 

 

私が見てきたアイドル手越祐也は、それはそれはとっても輝いていました。手越君を超せるアイドルはいないと本気で思いました。

手越君は本当に人知れず努力のできる人で、そしてとても力強い人。そんな手越君を応援できていることが嬉しく幸せでした。

 

NEWSもずっと大好きで、去っていったメンバーもみんな身内のような感覚で応援してきました。

4人になってからは、3人の中で末っ子として自由に動き回り楽しそうに笑う手越君が大好きで、そんな手越君をしょうがないなって優しく笑って見てくれる3人が大好きでした。

そのNEWSの温かくて笑顔になれる大好きな雰囲気が今でも忘れられません。

NEWSは私の青春でした。

 

 

大好きな4人のNEWSとの突然の別れに戸惑っているし、今でもNEWSが大好きで3人も応援したいのに、今は3人がNEWSとして歌う姿を直視できないのが本音です。3人の生きろを聞いた時も、涙が止まりませんでした。

あんなに大好きでいつもNEWSの曲を聞いたり、NEWSはいつも私の近くにあったのに、今は4人のNEWSの姿を見れないし、曲も聞けないままです。いつか落ち着いて4人のNEWSを見られる日が来たらいいと思います。

 

 

 

さて、私もそろそろNEWSの手越くんへの想いにけじめをつけなくてはなりません。

 

考えてみれば、手越くんが退所する時にも1番大切な言葉を伝えていませんでした。

 

 

ジャニーズ事務所所属NEWS手越祐也

 

18年間お疲れ様でした。

NEWSの手越祐也に出会えて応援できて本当に幸せでした。

手越君のファンになったから見れた世界、出会えた人がたくさんいます。

たくさんの時間を手越君と共にしてきました。今もいろんな思い出があるし、思い返すと涙が出てしまうけど、私の大切な宝物です。

アイドルでいてくれて、ジャニーズ事務所で戦ってくれて本当にありがとう。

いろんなことがあったし、これからもあるんだろうけど、たくさんのタレントの中で手越君を選んでよかったと思います。

まあ、ジェットコースターみたいな日々だけど(笑)それでも、手越君が幸せだと笑って生きていてくれたら、私も元気になれます。

手越君の代わりはいません。

 

いつもステージから子猫ちゃんって叫ぶときの、かわいくて優しい顔が大好きでした。ジャニーズに誇りをもってる手越君が大好きでした。バラエティで身体を張って、楽しそうに仕事をする手越君が大好きでした。手越君がNEWSとしてグループを先陣切って引っ張ってきたこと、手越君のやり方でNEWSを守ってきたこと築き上げてきたこと、忘れずに胸の中に閉まっておきます。

 

名残惜しいけど寂しいけどさよならをしなくてはいけません。

 

たくさんの夢、ときめきをくれてありがとうございました。手越くんはやっぱり世界一最高のアイドルです。NEWSの手越君に出会えてよかった!

 

 

そして、手越祐也君。エンターテイナーとして活躍する手越君の背中を押すと決めました。「絶対幸福」だもんね。信じています。これからも味方でいます。よろしくね。

 

 

 

 

 

キミの未来に幸あれ。

 

描ける夢はきっと叶うのさ

2020年1月22日

SixTONES念願のCDデビュー!!!!!!

 

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ついに待ちに待ったその日まであと少し。

もう、感慨深すぎて涙止まらないし気持ちまとまらない。

 

なので!大好きなSixTONESの大切な記念日を目前に、大真面目に彼らのことについて語りたいと思います。

 

今日くらいは、私が応援してきた中で感じたこと、彼らへの想いを存分に書いても許されるのではないか!!?

そして、いつか何かのタイミングで読み返した時にCDデビューを懐かしみたいと思います。

 

最初に言いますが、死ぬほど長く果てしなく重いです。そして、ただの星の数ほどいる中の1人の京本担の主観と見解で綴ります。ご了承ください。

 

 

私がSixTONESを好きになったのは、彼らがバカレア組と呼ばれていた頃だ。まだ全員が10代。

 

当時、姉がHey!Say!JUMP目当てでザ・少年倶楽部を見ていた。私もなんとなく一緒に見ていたが、ジャニーズJr.には多少偏見があった。というか、年下の男の子を好きになることに抵抗があった。

 

その日は、初めてバカレア組のパフォーマンスを見た。

 

真っ黒な衣装を着て、10代の頃にしか出すことができない思春期特融のギラギラ感を纏い、見事にバラバラのパフォーマンスをする彼らに衝撃を受けた。中でも、京本大我くんのパフォーマンスに圧倒された。

 

「私が知っていた、俺ジャニーズJr.の京本大我だけど!と堂々と言い放った小さな京本くんじゃない…かっこよくなりすぎている…」

 

身長がすらっと伸び、髪の毛は長髪の外ハネ。色白でどことなく反抗的な表情の大我くんが、どストライクに好みだった。だけど1番は、大我くんのとても綺麗な歌声と、指先の細部まで完璧に仕上げられたダンスに魅了された。

 

年下のジャニーズJr.を好きになる抵抗感はありながらも、好きになってしまった気持ちには抗えず京本大我にどんどんはまっていった。

大我くん以外のメンバーも自然な形で好きになった。

 

京本担として晴れてJr.担になってからは、毎日が新鮮だった。私立バカレア高校劇場版公開時は、番宣で色々な媒体で取り上げられる彼らを追いかけていた。6人が6人でいる姿を見られることが、単純に嬉しかったし楽しかった。 

 

ただ、大我くんはそれほどバカレア組に執着していないように見えていた。

 

大我くんにはグループではないものの、今まで一緒に活動してきた仲間がいた。中でも、安井謙太郎くんとの京安シンメは、圧倒的人気を誇っていた。バカレアから入った私ですら、安井くんが大我くんにとって、どれだけ特別な存在か理解するのに時間はかからなかったし、京安にはとても魅力を感じた。

 

大我くんはバカレア組の6人で活動をしながら、自分の元いた仲間に向けても「また一緒に歌おう」とメッセージを残した。当時の大我くんのファンは、バカレア組が好きな人よりも以前の活動からのファンが圧倒的に多い印象で、大我くんはそのことをちゃんとわかっていて、どちらのファンの気持ちも汲み取ろうとしているように見えた。

 

大我くん自身、バカレア組のメンバーとはどこか壁を作っていた印象もあった。(後にメンバーに京本とんがってた時代と笑い話にされている。大我くんの発言からすると、メンバーとの仕事のスタンスの違いにジレンマを感じていたことが要因のようだった。そのジレンマはSixTONES結成後3年目くらいまでは続いた様子。)

 

劇場版私立バカレア高校の後、徐々に6人での活動は減少。この時私は(大我くんの気持ちは置いておくが)すっかりバカレア組の6人を1つのグループのように見ていたし、京本担ではあったけど、5人のことも大好きと胸を張って言えるようになっていた。だから、解体されていく現実がとても苦しかった。私はデビュー組からJr.担になっていたため、グループではない1つの括りが永遠に存在するものではないことすらわかっていなかった。

 

大我くんの仕事を追いながら、心のどこかではまた6人で一緒になることを期待しながら過ごしていた。 

 

気がついた頃には、ほくじぇは圧倒的に前にいるJr.の顔となっていた。ジェシーは当時のジャニーズJr.を引っ張るエース的な存在になっていた。4人は4人で括られるわけでもなく、本当に個人の戦いのような期間だった。

 

大我くんはクリエや舞台、ドラマの仕事を行いながら、本当に様々な人と組まされていた。その中でバカレア組の誰かと一緒だと、少しほっとした。よかった、大我くんだけ別の道にいるわけじゃないと思えた。

 

2013年、2014年には滝沢歌舞伎に出演し、親子共演を果たした。親子共演でのお父さんの姿や、揺るがない座長の姿勢を見ながら、大我くんは大きな物を得ていた。この期間に滝沢歌舞伎へ出演できたことは、今の大我くんの仕事の姿勢にも大きな影響を与えていると思う。あの時の真剣に舞台に取り組む大我くんの姿を忘れられない。

 

そして、テレビでガムシャラの放送開始に併せて、毎月ガムシャラJsPARTYも行われた。

 

大我くんは北斗がリーダーのチーム羅のメンバーになぜか選ばれた。他に慎太郎、樹、諸星くんという、いかにも優勝最有力候補のチーム。なによりメンバーがたまらなく嬉しかった。

 

当時私は体調を崩していて現場は休んでいたけど、レポを見ながら毎回どのチームが勝つかはらはらしていた。そして、チーム羅のノーミスでのパフォーマンスからの優勝に号泣した。大号泣しているリーダーの北斗の肩を抱きながら出てくるお兄ちゃんな大我くんにも泣けた。 

 

そして、ガムシャラJsPARTYで久しぶりに6人が集まってパフォーマンスを行った。

 

知った時は嬉しさのあまり心臓が止まりそうだった。6人が集まって歌ったことが何を意味するのか、当時はわからなかった。ただ、過度な期待はしないようにしようと思った。期待を裏切られることに怯えた。1回でも6人が揃ってくれたら、満足だと思い込んだ。だけど、やっぱり大好きな人たちだから、淡い期待を拭えない自分もいた。

 

 

その後、有名なきょもほく対談で本人たちの口から、バカレアに対する未練はないとはっきりと言葉にされた。当時からきょもほくを推してきた私には影響力のありすぎる言葉だった。

当時バカレア組への風当たりはそこそこ強く、あまり声を大にして6人が好きだと言えずにいた。だけど、内心は6人の再集結を心から願っていた。

 

だからこの対談を読んで初めて、自分の好きという思いを諦めなくてはいけないと思った。

 

 

それからは、どんな形でもいいから、大我くんがベストを尽くせる人たちと一緒に仕事をしてほしいと思った。京本担としては、バカレア組が解散してからしんどいことが多かった。だけど大我くんが私にとって1番の夢を叶えてほしい人であり、そのために応援させてほしいという気持ちは揺るがなかった。

 

極論、大我くんさえ良ければいい。それが私の中の結論だった。

 

 

しかし、その後も6人のパフォーマンスする機会は続いた。もう期待させないでと思いながら、嬉しさを噛み締めていた。

 

 

そして2015年5月1日。シアタークリエ公演にて、シックストーンズとしてグループ名が発表された。エリザベート出演のため、クリエ出演が発表されていなかった大我くんもしっかり駆けつけていた。

 

 

仕事の後に事実を知った時に涙が出た。大我くんの出演予定のないクリエでの発表に少なからず不満はあったが、「これでもう、横に並ぶだけで喜ばなくていいんだ。正式なメンバーなんだ。グループとして好きだと堂々と言っていいんだ。」と、心から安堵した。

 

だけど、SixTONESの結成当初はファンの中にも様々な思いの人がいた。グループ結成を喜べない人も多かったし、批判的な意見もたくさんあった。私自身も様々な意見を聞いた。

 

 

ただ、私にとってはずっと願っていたバカレア組のグループ化という一つの夢が叶った瞬間だった。だから素直に喜んだ。

 

 

それから、正式にSixTONESとなった。

 

クリエの当日券の人数は少なかったし、SixTONESとしてすぐに人気が出たわけではなかった。

 

エリザベートという大きな挑戦を控えた大我くんがSixTONESとしてやっていくということを、どう考えているのかもわからなかった。

 

 

 

そして、エリザベート出演情報が解禁。情報が解禁された日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

初めて外部の、ミュージカルファンの間で大人気のミュージカルの舞台に立つ大我くんを見て、震えが止まらなかった。初日はこちらも緊張しすぎて、体調不良になりながら観劇した(笑)

初年度は、観客のミュージカルファンからは生まれたての小鹿のようなルドルフと言われたけど、一定の評価を得ていた。

 

大我くんが演じ続けたルドルフは本当に素晴らしかった。あんなに素晴らしい勇姿が映像に残らない現実に嫌気がさしたけど、たくさんの日の記憶に残る、愛されたルドルフだった。間違いなく、大我くんの大きな転機となった作品だった。

 

 

大我くんが命がけで挑む姿を見て、大我くんにはグループ活動より舞台中心の活動のほうがあってるのでは…と何度も頭をよぎった。大我くんも、SixTONESが結成してから3〜4年目までは、個人仕事をSixTONESに還元したいという発言を、あまりしてこなかったように思う。そのことも、私の中では引っかかっていた。

 

 

SixTONESとしての初めての仕事は少年たちの舞台だった。大我くん以外のメンバーは、ほぼ舞台経験がなかったし、SnowManと一緒だと知った時はちょっと腰が引けてしまうような感覚だった。舞台経験が豊富なプロ集団のSnowManとはあまりにも経験が違うし、正直かなり不安だった。

 

幕が開くと、必死にSnowManに食らいつくSixTONESがいた。ただ、差は歴然だった。

 

 

この時の少年たちで、初めてのオリジナル曲をもらった。念願のオリジナル曲をパフォーマンスするSixTONESを見ながら、泣きながら幸せを噛みしめた。

 

それから、SixTONESは数々の舞台やライブをこなしながら、少しずつSixTONESを作っていった。メディアへの露出は少なかったけど、必死にグループを模索していたようだった。

 

 

大我くんは舞台も並行して行い、舞台とライブのリハが重なることや、舞台終わりに少年倶楽部の収録に駆け込むこともあった。時には、自分の個人仕事でSixTONESの勢いを止めたくないと、SixTONESの活動優先の1年もあった。

 

大我くんがグループのためにそこまでするということに驚いた。そこで、大我くんSixTONESの1員としてSixTONESに懸けているんだと思った。

 

そんな中で少しずつ、大我くんがやりたいことへのメンバーの理解を得られていったように思う。

メンバーが揃ってゲネプロを観に来たり、入れ違いで全員が初主演ミュージカルを観に来てくれた時は泣いた。北斗が来てくれた…

 

 

SixTONESは少しずつ単独ライブの機会にも恵まれた。

私は基本的にSixTONESにしか興味のないタイプであり、大勢の中の1グループでいるよりは、早く単独を!と願っていた。

だから、彼らのパフォーマンスを彼らと彼らを好きだという人だけの空間で見られることが幸せだった。

 

 

SixTONESのライブに行くととにかく騒いで、かっこよさに痺れて、大笑いした。舞台やライブの度に披露されたオリジナル曲はどれも大切な宝物だ。

特に2017年の東西やキントレはSixTONESらしさが出てきて本当におもしろかった。

 

 

2018年にYouTubeが始まってからは、驚くくらい彼らが身近になった。頭の中であれこれ思い描いていた夢が、ほとんどYouTubeで実現した。6人揃うことだけを願って、横並びの立ち位置だけて喜んでいた頃が嘘のようだ。

今までは紙面やライブでこちらが出向かなくては見られなかったものが、動画で手軽に見られるということが衝撃だった。

 

デビューまだ?が口癖だったけれど、この時代にSixTONESがジャニーズJr.でいてくれてよかったと初めて思った。

 

 

だけど、この頃彼らはあまりデビューを口にしなくなっていた。CDだけが全てじゃないとよく言っていた印象がある。その発言に、CDデビューする気ないの?ともやもやした気持ちを抱えた。

 

 

2018年11月、アーティストプロモキャンペーンに大抜擢された。突如張り出されたポスターが衝撃で、何これジャニーズJr.日替わり?と思った。MVも作られた。ジャニーズJr.のうちからMVをもらえるなんと思わなかったから、とても嬉しかった。ようやくここまできたかと涙が出て出た。

 

 

そして2019年に入り勢いは加速。単独ライブに追加が出て結果ツアーとなったり、テレビや雑誌、ラジオ等メディアへの露出が増えた。

 

 

そして8月8日。CDデビューの発表。

仕事で立ち会えなかったが、配信を見ながら大号泣した。泣きすぎて記憶はない。 

 

 

本当に素直に嬉しかった。あれだけ願ったことが叶うというのが、夢のようだった。

 

それから今日まで、怒涛だった。SixTONESの口からもたくさんの当時の想いを聞くことができて、今さら知ることもたくさんあった。

 

 

私はSixTONESを好きになれて幸せ者だと心底思っている。そして、大我くんもメンバーもあの頃と変わらず大好きだ。

 

 

 

ジェシーはとにかく可愛い!!!そして、ジェシーの笑い声は世界を平和にできると思う。

 

まじめなことを言うと、ジェシーには感謝しかしていない。バカレアが終わってジェシーがJr.の最前線で引っ張っていた時、ジェシー早くこっちに戻っておいでとずっと思っていた。

ジェシーが6人でグループになると思っていたと言ってくれて嬉しかったし、6人を繋いでくれたのがジェシーだったと知った時は胸が熱くなった。

 

あの位置でやっていたジェシーが、一緒にやるならこのメンバーだと選んでくれたことが嬉しかった。

基本的にジェシーの言葉は前向きで明るくて、ほかの5人もジェシーの言葉に鼓舞されているんだろうなと思う。だからこそ、これからもジェシーには変わらず自由にいてほしい。大声で笑い続けてほしい。

 

ジェシーSixTONESのシンボリックでいてくれることに感謝している。

 

 

 

私は、北斗のことがとても好きだ。そして、きょもほく厨だ。最初は、きょうもっちゃん!と、なんの遠慮もしないで大我くんに絡みに行く北斗が単純に可愛くて、きょもほくが好きになった。当時はこんな不仲売りされるなんて思ってもいなかった(笑)

 

バカレア組じゃなくなってからも、なんとなく北斗は大我くんと近くにいたような気がする。

 

私は、北斗といれば大我くんは安心だと思っていた。漠然と、北斗が一緒にいれば間違いないと思った。

 

それは、松村北斗のアイドル性を信頼しているからで、自他共に認める似たもの同士の北斗が一番、大我くんのことを理解して刺激を与えてくれる存在なのではないかとも思っていたからだ。それは今も思っている。

 

今ではメンバーとなり、最近では北斗がSixTONESの中で楽しそうに笑っている姿がたくさん見られてとてもうれしい。そして、北斗は大きな可能性を秘めていて、色々な方向で活躍していくことができる人だと思っている。これからも、北斗の活躍が見られることを楽しみにしたい。1番は、早くセルフプロデュース松村北斗のソロ曲を見たい。

 

 

最近の高地はとてもかっこよくて驚いてしまうことがある。きっと年齢を重ねるごとに魅力が増す人なんだろうなと思う。

 

私は最近きょもゆごの魅力に気が付き、ずぶずぶと沼にはまっている。髙地といると、大我くんが自然体でいられるからだ。それは、SixTONESにいる大我くんにとってとても大切なことだし、高地はSixTONESにとって、とても貴重な存在だと思っている。

 

SixTONESに就職してくれてありがとう。自分の武器を見つけようと必死な高地の姿を見て、とても素敵だと思った。だけど、高地はもう既にたくさんの武器を持ってると感じている。

高地は高地らしく、変わらずにいてほしい。

私は、みんなの精神的な支え柱の高地を信頼している。高地の笑顔を守っていきたい。

 

慎太郎には語り尽くせない想いがある。

SixTONESは、ほくゆごは言わずと知れたB.Iだし、J2も同じグループでやっていた。だけど、グループがなかった大我くんには、同じ時代を共有できる人がいない。

だからこそ、小さい頃から大我くんの側にいてたくさん喧嘩もした、そんな慎太郎と同じグループでデビューをすることが本当に嬉しい。

 

慎太郎のギャグや笑いが大好きだし、私も末ズは世界一おもしろいと思っている。

でも慎太郎の1番好きなところは、愛情が深くて真っ直ぐなところだ。そして、優しい。

きっとSixTONESはこれから、慎太郎の真っ直ぐさにたくさん助けられていくと思う。

慎太郎、変わらないでと切に願っている。そんな慎太郎が末っ子でいてくれるSixTONESは強い。

 

 

そして、樹。樹はある意味1番、大我くんのいろんな面を知ってると思う。手を焼いたり、嫌だと思ったこともあったんじゃない?(笑)と聞きたい。

 

バカレアではきょもじゅりがコンビだったし、同じ時期に大我くんは堀越に転校した。

前の学校に未練があり、馴染もうとしない大我くんを、樹がみんなとのパイプ役になり馴染ませてくれたと大我くんは話している。

 

席が前後だったり、大我くんが穏やかな友達とご飯を食べてる中、樹は集団の真ん中を歩きながら食堂に向かったり、一緒に屋上でサボったり、きょもじゅりの高校時代のエピソードは宝の宝庫だ。

 

樹はずっと京本くんと呼び続けていたし、大我くんが敬語をやめてと言っても、先輩なんで!っと頑なだった。私は樹のそこが好きだと思った。結局、大我くんが無理矢理きょも呼びを定着させた。大我くん余計なことを!と当時は思ったけど(笑)大我くんなりの、後輩の樹とこれから同じグループでやっていくための気遣いだったのかなと思う。

 

樹はSixTONESになって1番変わったのではと思う。樹がこんなに頭の回転が速くて、MCができる人だと正直思っていなかった。

いろいろな事があったけど、辞めてしまうのではと不安になったけど、樹が踏ん張ってくれた事に本当に感謝している。

Team SixTONESを束ねられるのは樹しかいない。樹に勝手に大きな責任を押しつけて申し訳ないと思っているが、これからもSixTONESの舵をとってほしい。

 

最後に。

 

京本大我くん。

 

改めて、本当にデビューおめでとう。

今までに大我くんを応援してきてよかったと何度も思ったけど、やっぱり応援してきてよかったです。

 

私は大我くんのジャニーズJr.人生の約半分しか知らないけど、ジャニーズJr.の京本大我に出会えたことが幸せでした。

 

思えば、8年という長い時間を大我くんと共に過ごしてきた。

仕事がしんどい時、プライベートで辛い事があった時、大我くんの活動に歌声に元気をもらい続けてきた。元気の源は大我くんだった。

 

少し寄り道をするつもりで好きになったけど、気づけばしっかりと大我くんとSixTONESとの道をしっかりと歩いていた。

 

振り返ると色んなことがあった。デビューも見えなくて、苦しくてもう大我くんのファンを辞めようと思う時もあった。

 

SixTONESへの批判もあった。その度に悔しかったけど、私の中で1番はSixTONESだという思いが揺らぐことはなかった。

 

 

大我くんの歌が本当に大好きで、どうしても大我くんの歌をCD音源として手に入れたくて、その夢を諦めきれなかった。せめて大我くんのデビューを見届けたいと思いながら、毎日毎日過ごしてきた。

 

 

大我くんは、どんな形でも自分の夢を叶えるから、だからこの声についてきてとファンにメッセージをくれた。

だからここまで信じてこられた。

 

あの時、自分の好きの気持ちを貫いてよかった。大我くんの位置が後ろに下がった時も、戦友たちがどんどん辞め、かつてのシンメや大親友が辞めた時も、不安な時なんて山ほどあった。消えてしまうのではと怯えたこともあった。

 

 

SixTONESがあるから安心だなんて、容易く言えなかった。

 

だけど、大我くんは本当に頑張ってくれた。私は他の京本担のように、大我くんを叱咤激励しながら伸ばすタイプではないし、現場だって自分の無理のない範囲でしか行かなかった。だけど自分なりに大我くんを好きな気持ちを大切にしてきたし、真剣に応援してきたつもりだ。

 

 

そして今日この日を迎えられた。

 

 

 

このデビューにはいろいろな想いの人がいる。私だって、全てが望んでいた結果ではない。

 

だけど、大好きな大我くんが私の大好きなグループの1員としてデビューを果たす。長年の私の1番の夢を大好きな大我くんに叶えてもらえるのだから、私のおたく人生はとても幸せだと思う。

 

 

大我くん、いよいよですね。

これからどんな事が起こるのか、大我くんがどんな風になっていくのか、未知だよね。

 

大我くんは変わりたくない、デビューをしたくないと口にしたけど、その言葉を聞けた時よかったと思った。

 

大我くんが飾らない言葉で話してくれて安心した。

 

上手い言葉で話さなくていいから、想いを歌やパフォーマンスに込めてくれたらこっちでちゃんと解釈するから。深読みするかもしれないけど!(笑)

 

だからどんなに環境が変わっても、大我くんの歌や想いを、パフォーマンスにのせて届けることだけに集中してください。それが今の私の願いです。

 

大我くん、大きな人になってね。

きっと寂しくてしかたなくて、昔を懐かしんでしまうこともあるけど(笑)

 

 

だけど大我くんとSixTONESなら、もっともっと大きなアーティストになれると本気で信じています。

 

私は大勢の中でパフォーマンスする大我くんを、見つけることが好きでした。

今月は誰と一緒に歌うだろう、大我くんはどれくらいテレビに映るだろうと、ドキドキしながら少クラを見てました。

雑誌の記事も、大我くんの載った1ページがとても貴重でした。

テレビの音源の大我くんの歌声を聞きながら、CDとして大我くんの歌が聴ける日を、何度も何度も想像しました。

現場もたくさん足を運んで、大我くんとの大切な思い出も増えました。

大我くんを応援してたから経験できたこと、知れた世界、出会えた大切な人がたくさんいます。

たくさん笑ったし、悔しいことも震えるくらい嬉しいことも、涙が出るほど感動したこともありました。

今思えばどれも貴重なJr.時代の大我くんとの思い出です。

 

ジャニーズJr.の大我くんとの思い出は私の宝物だから、大事に心の中に閉まっておきたい。

 

 

そしてこれからは、SixTONES京本大我の声を信じていきたい。

 

 

 

 

ジャニーズJr.京本大我くん。

14年間本当にお疲れ様でした!

 

 

楽しくて幸せな時間をありがとう。

心から応援したいと思わせてくれてありがとう。

夢が叶う瞬間に立ち会わせてくれてありがとう。

 

 

これからも一緒に夢を追いかけさせてね。

 

ジャニーズJr.卒業おめでとう!

 

 

 

 

31歳の手越くんへ

手越祐也くん、31歳のお誕生日おめでとうございます!!!!

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毎年毎年、手越くんが年を取ることに新鮮に驚いている私がいます。私は手越くんをなんだと思ってるんでしょうね???あ、王子は年とらないと思ってるんだ(?)

とにかく!私の大切な、大好きな手越くんがまた一つ年を重ねた記念すべき日に、例のごとく手越くんへの想いを語りたいと思います。

そう、毎年手越くんの誕生日のみに行う、恒例行事です☆〜(ゝ。∂)

まず、なぜ毎年手越くんの誕生日にだらだらと長文を書き殴るかというと、自分のためです。

今年1年の手越くんを振り返りながら、手越担として感じたことを振り返る。そんなことをずっと続けて、気がつけば12年。怖いわァ。

今年の手越くんをざっと振り返ります。

まず、LPS発売!そして、アルバム EPCOTIA発売!からの、EPCOTIAアリーナツアー!地元埼玉に手越くんが来てくれたことが嬉しかった(((o(*゚▽゚*)o)))♡

アルバム発売からツアーに向けて、ビジュアルを作り上げてくる手越くんは、やっぱりプロだなぁと思いました。ソロのプラトニックは圧巻過ぎて泣いた。

手越くんの歌を聴くと、本当にこの人を好きでよかったと思います。

それから、W杯メインキャスター!

やっぱりサッカーのお仕事をする手越くんはいつもの何倍も輝いてた。自分の好きなことが仕事になってる手越くんを尊敬する瞬間です。

そしてBLUE発売!手越くんが取ってきたお仕事がNEWSに還元されていくことが嬉しい(*´ω`*)

W杯期間中は、毎日BLUEが流れてて嬉しかったし、BLUEメイキングのてごしげがしんどい(真顔)

あと、久しぶりにゼロで手越くんのお芝居が見られました♡

コタローちゃんは切なくて悲しい役だったけど、お芝居が見られたことが嬉しかった。それに、シゲが主演の作品で、がっつりてごしげのお仕事を見られたことも幸せでした。てごしげ厨に幸せをありがとう。

それから、夏は15周年ライブ(((o(*゚▽゚*)o)))♡

残念ながら、自分の体調で行けませんでした。本当に悔しかった。

WS見たりレポ見たら、ファンのためにアイドル全開な手越くんだったようで、安心した。

久しぶりのテゴマスも聞きたかったなぁ。・°°・(>_<)・°°・。

9月は生きろ発売!すごく力強い曲。

大サビの手越パートを力強く歌う手越くんが好き。毎回生きろのパフォーマンスを全力でする手越くんを、真剣に見てました。

ドリフェスやNEWSに恋してなど、新しいお仕事もあり。

今までとは違う手越くんを見たりする機会が多かったなぁっていう30歳の印象でした。

手越くんは、どんな30歳だったのかなぁ。

楽しくて、幸せ。振り返った時にそう思ってくれたら嬉しいけど、きっと、もしかしたら。

今年はそれだけじゃなかったのかなと思います。

NEWSにとっても、手越くんにとっても、私にとっても苦しいことがありました。

手越くんのファンになって初めて、NEWSのファンを続けることが無理かもしれないと思いました。

容赦なく入ってくる心ない声や、噂に惑わされて。ずっと信じ続けてきた大好きな人から、初めて目を逸らしました。

だけど、結局私は手越くんが好きでした。

頭がおかしいと思われても、脳内花畑でも。

私が今まで見てきた手越くんは嘘ではないから。

周りに気づかれないように、人知れず努力しながら、プロとしてアイドルを全うする手越くんが大好きです。

慶ちゃんが出番前で手が震えてる時、手を握って安心させる優しい手越くんが好きです。

褒められると照れる可愛い可愛い可愛い可愛い手越くんが好きです。

もう、避けては通れないいなくてはならない人です。

究極、手越くんが笑顔でいてくれさえすれば、私は幸せです。

これからも、たくさんの笑顔を振りまきながら、手越くんらしく私たちを楽しませてね。

素敵な歌を届けてね。

いろいろ不安になるし、なんで私は手越くんが好きなんだろうって呆れることもあるけど、やっぱり離れられないと肝に銘じたので、これからも懲りずに手越担でいます。

どうか、31歳の手越くんには幸せしか訪れませんように。

手越くん本当におめでとう。大好き*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*愛してるよ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

くそ重くてすいません。(土下座)

30歳の手越くんへ

手越祐也くん、30歳のお誕生日おめでとうございます!!!!(盛大な拍手!クラッカーパンパカパーン!!)

 

なぜだか30歳になるのをとても楽しみにしていた手越くんが、ついにその日を迎えました。あの黒髪短髪美少年だった手越が…感無量です。誰か箱ごとティッシュいや、バスタオル下さい。

 

さて、今日は家族やメンバー、大好きなお友達に囲まれて世界一楽しく過ごしているであろう、私の永遠の王子こと手越祐也くんの30回目の生誕祭なので、手越くんへの激アツ激重な気持ちを書きなぐりたいと思います。140文字なんかで収まるわけがないので、ブログを開設しちゃいました。てへっ☆〜(ゝ。∂)

 

はっきりいいます。めちゃくちゃ長いです。そして、くそ重くて気持ち悪いです。でも、手越くん30歳の誕生日を機に記録に残しておくことにしました。

 

 

まず、簡単に私と手越くんの馴れ初め(言い方)を。

手越くんを初めて知ったのは、私が14歳の時でした。当時手越くんは17歳。まだ黒髪で目立たない端っこで控えめに笑っている男の子という印象でした。でも、歌が抜群に上手かった。そして、笑顔がかわいくて、私はすぐに好きになりました。余談ですが、当時私は手越くんを「てっし〜〜♡」と呼んでました。今の手越くんには、てっし〜〜♡感はまったくありません( ◜◡◝ )

 

 

初めて手越くんを担当としたのは、それから2年後の高校1年生の時。きっかけは曖昧ですが、「私手越くんを担当にする!」と、当時錦戸担をしていた姉に高らかに宣言したのを覚えています。それからは、青春を手越くんとNEWSに捧げました。そう、俗に言う

 

手越くん本気愛♡♡手越くんがいればなにもいらないの♡♡

 

というくそめんどくさい強火おたくでした。もちろん、croozブログに恋心を書き殴るポエマーやってました♡(世代がバレる)

とにかく手越くんとNEWSが大好きで大好きで大好きで、NEWSの活動があるたびに、毎日舞い上がってました。あの頃はNEWSも今より推されていたなぁ(小声)

 

私が初めてNEWSのライブに行ったのはNEWSが初めて東京ドームに立った時でした。東京ドームの広さに衝撃を受けたのと、目の前に大好きな手越くんが存在しているということが信じられなくて、ただただ唖然としました。

その時は今よりまだちょっとだけ手越くんの団扇は少なかったのと、手越くんのソロで座る人が多くて、視界は良好だけどすごく悔しい気持ちになりました。でも、初めて見る手越くんはそれはもうキラッキラで、星の王子様って手越くんのことだよね…?と真剣に疑ってしまうほどでした。ちゃんと自分の団扇を見つけて丁寧にファンサする手越くんを見て、手越くんを好きになってよかったと心底思いました。

 

それから、NEWSの活動以外にもドラマや舞台、テゴマスとしての活動、映画にイッテQのロケと手越くんはたくさんの活動をして、その度に新しい顔を見せてくれました。単純な私は、その度に惚れ直しました。中でもドリボ出演が本当っっっっに嬉しくて、DVD化しない事務所はまじで恨んでます(真顔)

 

そして、NEWSから山下くんと錦戸くんが抜けた時。今でも忘れられないのが、6人のコメントが出された時に手越くんが真っ先に「ごめん」と言ったこと。事態が飲み込めず大号泣していた私は、その言葉で余計に泣いてしまったんだけど、こんな時でもファンのことを考えて発言してくれる手越くんはやっぱり優しいなと改めて思いました。

 

それからNEWSの再結成までいろいろあって、強気な発言をして批判を受けたこともあったけど、手越くんはNEWSのために今までよりずっとずっと強いエースになりました。髪の毛も、目立つからという理由で金髪や銀髪。イッテQのロケもたくさん出て身体を張ることも多くなりました。

 

再出発の秩父宮は忘れられません。ずっとふわふわとした気持ちでした。暑い中何時間もグッズに並んで、久しぶりの手越くんに胸が押しつぶされるんじゃないかってくらい緊張しました。

そして、ライブが始まると、過去最高に笑って叫んで泣いて、本当に楽しみました。手越くんがアイドルとして目の前にいることが嬉しかった。大好きなNEWSが形は違えどまた戻ってきて幸せだった。フルスイングで堪えきれず、後ろを向いて涙を流す手越くんにこちらの涙腺も決壊。多分この先も忘れることはできないライブです。

 

それから今までずっと手越くん大好き♡な毎日を過ごしている私ですが、手越くんのどこが1番好き?と聞かれても、正直わかりません。

 

好きなところはあげたらキリはないけど、あえてあげるならやっぱり1番は強気な姿勢です。

手越くんって、無理そうなことでも手越くんならできそう!って思わせる天才だと思います。もちろん、強気すぎて、ちょっと手越くん落ちつこうや!って思うこともあるけど。でもその強気な態度か頼もしくて、私が1番憧れているところです。

 

後はもう、手越くんがこの世に存在してくれてさえいればいいです。

私は手越くんの笑顔が大好きだから、手越くんが毎日笑って生活してくれれば、なにも言うことはありません。

 

もちろん、手越くんに直してほしい所や理解できない所だってあります。一時期は手越くんから離れたくて、俗に言う担降りをしたこともあります。今だって、他に応援してる人もいます。

 

でも、やっぱり手越くんは私にとって特別で、こんなに1人の人をずっと好きでいられるのは手越くんだからこそ。なにが、とかどこが、とかではなく、私にとっては手越くんが存在することが当たり前で、当たり前に好きな人です。

 

私が好きになった、黒髪の控えめな少年はもういないけれど、人知れず努力して築いた、みんなから愛される金髪の王子様が大好きです。

 

30歳は手越くんの周りに幸せなことばかりが起こりますように。毎日「楽しくてしかたないんだよな〜〜!」って笑ってくれますように。

 

手越くんのお父さん、お母さん。手越くんを生んでくれてありがとうございます。たくさんのジャニーズタレントの中から手越くんを選んだ私もありがとう。

 

手越くん大好き!!!。