描ける夢はきっと叶うのさ

2020年1月22日

SixTONES念願のCDデビュー!!!!!!

 

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ついに待ちに待ったその日まであと少し。

もう、感慨深すぎて涙止まらないし気持ちまとまらない。

 

なので!大好きなSixTONESの大切な記念日を目前に、大真面目に彼らのことについて語りたいと思います。

 

今日くらいは、私が応援してきた中で感じたこと、彼らへの想いを存分に書いても許されるのではないか!!?

そして、いつか何かのタイミングで読み返した時にCDデビューを懐かしみたいと思います。

 

最初に言いますが、死ぬほど長く果てしなく重いです。そして、ただの星の数ほどいる中の1人の京本担の主観と見解で綴ります。ご了承ください。

 

 

私がSixTONESを好きになったのは、彼らがバカレア組と呼ばれていた頃だ。まだ全員が10代。

 

当時、姉がHey!Say!JUMP目当てでザ・少年倶楽部を見ていた。私もなんとなく一緒に見ていたが、ジャニーズJr.には多少偏見があった。というか、年下の男の子を好きになることに抵抗があった。

 

その日は、初めてバカレア組のパフォーマンスを見た。

 

真っ黒な衣装を着て、10代の頃にしか出すことができない思春期特融のギラギラ感を纏い、見事にバラバラのパフォーマンスをする彼らに衝撃を受けた。中でも、京本大我くんのパフォーマンスに圧倒された。

 

「私が知っていた、俺ジャニーズJr.の京本大我だけど!と堂々と言い放った小さな京本くんじゃない…かっこよくなりすぎている…」

 

身長がすらっと伸び、髪の毛は長髪の外ハネ。色白でどことなく反抗的な表情の大我くんが、どストライクに好みだった。だけど1番は、大我くんのとても綺麗な歌声と、指先の細部まで完璧に仕上げられたダンスに魅了された。

 

年下のジャニーズJr.を好きになる抵抗感はありながらも、好きになってしまった気持ちには抗えず京本大我にどんどんはまっていった。

大我くん以外のメンバーも自然な形で好きになった。

 

京本担として晴れてJr.担になってからは、毎日が新鮮だった。私立バカレア高校劇場版公開時は、番宣で色々な媒体で取り上げられる彼らを追いかけていた。6人が6人でいる姿を見られることが、単純に嬉しかったし楽しかった。 

 

ただ、大我くんはそれほどバカレア組に執着していないように見えていた。

 

大我くんにはグループではないものの、今まで一緒に活動してきた仲間がいた。中でも、安井謙太郎くんとの京安シンメは、圧倒的人気を誇っていた。バカレアから入った私ですら、安井くんが大我くんにとって、どれだけ特別な存在か理解するのに時間はかからなかったし、京安にはとても魅力を感じた。

 

大我くんはバカレア組の6人で活動をしながら、自分の元いた仲間に向けても「また一緒に歌おう」とメッセージを残した。当時の大我くんのファンは、バカレア組が好きな人よりも以前の活動からのファンが圧倒的に多い印象で、大我くんはそのことをちゃんとわかっていて、どちらのファンの気持ちも汲み取ろうとしているように見えた。

 

大我くん自身、バカレア組のメンバーとはどこか壁を作っていた印象もあった。(後にメンバーに京本とんがってた時代と笑い話にされている。大我くんの発言からすると、メンバーとの仕事のスタンスの違いにジレンマを感じていたことが要因のようだった。そのジレンマはSixTONES結成後3年目くらいまでは続いた様子。)

 

劇場版私立バカレア高校の後、徐々に6人での活動は減少。この時私は(大我くんの気持ちは置いておくが)すっかりバカレア組の6人を1つのグループのように見ていたし、京本担ではあったけど、5人のことも大好きと胸を張って言えるようになっていた。だから、解体されていく現実がとても苦しかった。私はデビュー組からJr.担になっていたため、グループではない1つの括りが永遠に存在するものではないことすらわかっていなかった。

 

大我くんの仕事を追いながら、心のどこかではまた6人で一緒になることを期待しながら過ごしていた。 

 

気がついた頃には、ほくじぇは圧倒的に前にいるJr.の顔となっていた。ジェシーは当時のジャニーズJr.を引っ張るエース的な存在になっていた。4人は4人で括られるわけでもなく、本当に個人の戦いのような期間だった。

 

大我くんはクリエや舞台、ドラマの仕事を行いながら、本当に様々な人と組まされていた。その中でバカレア組の誰かと一緒だと、少しほっとした。よかった、大我くんだけ別の道にいるわけじゃないと思えた。

 

2013年、2014年には滝沢歌舞伎に出演し、親子共演を果たした。親子共演でのお父さんの姿や、揺るがない座長の姿勢を見ながら、大我くんは大きな物を得ていた。この期間に滝沢歌舞伎へ出演できたことは、今の大我くんの仕事の姿勢にも大きな影響を与えていると思う。あの時の真剣に舞台に取り組む大我くんの姿を忘れられない。

 

そして、テレビでガムシャラの放送開始に併せて、毎月ガムシャラJsPARTYも行われた。

 

大我くんは北斗がリーダーのチーム羅のメンバーになぜか選ばれた。他に慎太郎、樹、諸星くんという、いかにも優勝最有力候補のチーム。なによりメンバーがたまらなく嬉しかった。

 

当時私は体調を崩していて現場は休んでいたけど、レポを見ながら毎回どのチームが勝つかはらはらしていた。そして、チーム羅のノーミスでのパフォーマンスからの優勝に号泣した。大号泣しているリーダーの北斗の肩を抱きながら出てくるお兄ちゃんな大我くんにも泣けた。 

 

そして、ガムシャラJsPARTYで久しぶりに6人が集まってパフォーマンスを行った。

 

知った時は嬉しさのあまり心臓が止まりそうだった。6人が集まって歌ったことが何を意味するのか、当時はわからなかった。ただ、過度な期待はしないようにしようと思った。期待を裏切られることに怯えた。1回でも6人が揃ってくれたら、満足だと思い込んだ。だけど、やっぱり大好きな人たちだから、淡い期待を拭えない自分もいた。

 

 

その後、有名なきょもほく対談で本人たちの口から、バカレアに対する未練はないとはっきりと言葉にされた。当時からきょもほくを推してきた私には影響力のありすぎる言葉だった。

当時バカレア組への風当たりはそこそこ強く、あまり声を大にして6人が好きだと言えずにいた。だけど、内心は6人の再集結を心から願っていた。

 

だからこの対談を読んで初めて、自分の好きという思いを諦めなくてはいけないと思った。

 

 

それからは、どんな形でもいいから、大我くんがベストを尽くせる人たちと一緒に仕事をしてほしいと思った。京本担としては、バカレア組が解散してからしんどいことが多かった。だけど大我くんが私にとって1番の夢を叶えてほしい人であり、そのために応援させてほしいという気持ちは揺るがなかった。

 

極論、大我くんさえ良ければいい。それが私の中の結論だった。

 

 

しかし、その後も6人のパフォーマンスする機会は続いた。もう期待させないでと思いながら、嬉しさを噛み締めていた。

 

 

そして2015年5月1日。シアタークリエ公演にて、シックストーンズとしてグループ名が発表された。エリザベート出演のため、クリエ出演が発表されていなかった大我くんもしっかり駆けつけていた。

 

 

仕事の後に事実を知った時に涙が出た。大我くんの出演予定のないクリエでの発表に少なからず不満はあったが、「これでもう、横に並ぶだけで喜ばなくていいんだ。正式なメンバーなんだ。グループとして好きだと堂々と言っていいんだ。」と、心から安堵した。

 

だけど、SixTONESの結成当初はファンの中にも様々な思いの人がいた。グループ結成を喜べない人も多かったし、批判的な意見もたくさんあった。私自身も様々な意見を聞いた。

 

 

ただ、私にとってはずっと願っていたバカレア組のグループ化という一つの夢が叶った瞬間だった。だから素直に喜んだ。

 

 

それから、正式にSixTONESとなった。

 

クリエの当日券の人数は少なかったし、SixTONESとしてすぐに人気が出たわけではなかった。

 

エリザベートという大きな挑戦を控えた大我くんがSixTONESとしてやっていくということを、どう考えているのかもわからなかった。

 

 

 

そして、エリザベート出演情報が解禁。情報が解禁された日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

初めて外部の、ミュージカルファンの間で大人気のミュージカルの舞台に立つ大我くんを見て、震えが止まらなかった。初日はこちらも緊張しすぎて、体調不良になりながら観劇した(笑)

初年度は、観客のミュージカルファンからは生まれたての小鹿のようなルドルフと言われたけど、一定の評価を得ていた。

 

大我くんが演じ続けたルドルフは本当に素晴らしかった。あんなに素晴らしい勇姿が映像に残らない現実に嫌気がさしたけど、たくさんの日の記憶に残る、愛されたルドルフだった。間違いなく、大我くんの大きな転機となった作品だった。

 

 

大我くんが命がけで挑む姿を見て、大我くんにはグループ活動より舞台中心の活動のほうがあってるのでは…と何度も頭をよぎった。大我くんも、SixTONESが結成してから3〜4年目までは、個人仕事をSixTONESに還元したいという発言を、あまりしてこなかったように思う。そのことも、私の中では引っかかっていた。

 

 

SixTONESとしての初めての仕事は少年たちの舞台だった。大我くん以外のメンバーは、ほぼ舞台経験がなかったし、SnowManと一緒だと知った時はちょっと腰が引けてしまうような感覚だった。舞台経験が豊富なプロ集団のSnowManとはあまりにも経験が違うし、正直かなり不安だった。

 

幕が開くと、必死にSnowManに食らいつくSixTONESがいた。ただ、差は歴然だった。

 

 

この時の少年たちで、初めてのオリジナル曲をもらった。念願のオリジナル曲をパフォーマンスするSixTONESを見ながら、泣きながら幸せを噛みしめた。

 

それから、SixTONESは数々の舞台やライブをこなしながら、少しずつSixTONESを作っていった。メディアへの露出は少なかったけど、必死にグループを模索していたようだった。

 

 

大我くんは舞台も並行して行い、舞台とライブのリハが重なることや、舞台終わりに少年倶楽部の収録に駆け込むこともあった。時には、自分の個人仕事でSixTONESの勢いを止めたくないと、SixTONESの活動優先の1年もあった。

 

大我くんがグループのためにそこまでするということに驚いた。そこで、大我くんSixTONESの1員としてSixTONESに懸けているんだと思った。

 

そんな中で少しずつ、大我くんがやりたいことへのメンバーの理解を得られていったように思う。

メンバーが揃ってゲネプロを観に来たり、入れ違いで全員が初主演ミュージカルを観に来てくれた時は泣いた。北斗が来てくれた…

 

 

SixTONESは少しずつ単独ライブの機会にも恵まれた。

私は基本的にSixTONESにしか興味のないタイプであり、大勢の中の1グループでいるよりは、早く単独を!と願っていた。

だから、彼らのパフォーマンスを彼らと彼らを好きだという人だけの空間で見られることが幸せだった。

 

 

SixTONESのライブに行くととにかく騒いで、かっこよさに痺れて、大笑いした。舞台やライブの度に披露されたオリジナル曲はどれも大切な宝物だ。

特に2017年の東西やキントレはSixTONESらしさが出てきて本当におもしろかった。

 

 

2018年にYouTubeが始まってからは、驚くくらい彼らが身近になった。頭の中であれこれ思い描いていた夢が、ほとんどYouTubeで実現した。6人揃うことだけを願って、横並びの立ち位置だけて喜んでいた頃が嘘のようだ。

今までは紙面やライブでこちらが出向かなくては見られなかったものが、動画で手軽に見られるということが衝撃だった。

 

デビューまだ?が口癖だったけれど、この時代にSixTONESがジャニーズJr.でいてくれてよかったと初めて思った。

 

 

だけど、この頃彼らはあまりデビューを口にしなくなっていた。CDだけが全てじゃないとよく言っていた印象がある。その発言に、CDデビューする気ないの?ともやもやした気持ちを抱えた。

 

 

2018年11月、アーティストプロモキャンペーンに大抜擢された。突如張り出されたポスターが衝撃で、何これジャニーズJr.日替わり?と思った。MVも作られた。ジャニーズJr.のうちからMVをもらえるなんと思わなかったから、とても嬉しかった。ようやくここまできたかと涙が出て出た。

 

 

そして2019年に入り勢いは加速。単独ライブに追加が出て結果ツアーとなったり、テレビや雑誌、ラジオ等メディアへの露出が増えた。

 

 

そして8月8日。CDデビューの発表。

仕事で立ち会えなかったが、配信を見ながら大号泣した。泣きすぎて記憶はない。 

 

 

本当に素直に嬉しかった。あれだけ願ったことが叶うというのが、夢のようだった。

 

それから今日まで、怒涛だった。SixTONESの口からもたくさんの当時の想いを聞くことができて、今さら知ることもたくさんあった。

 

 

私はSixTONESを好きになれて幸せ者だと心底思っている。そして、大我くんもメンバーもあの頃と変わらず大好きだ。

 

 

 

ジェシーはとにかく可愛い!!!そして、ジェシーの笑い声は世界を平和にできると思う。

 

まじめなことを言うと、ジェシーには感謝しかしていない。バカレアが終わってジェシーがJr.の最前線で引っ張っていた時、ジェシー早くこっちに戻っておいでとずっと思っていた。

ジェシーが6人でグループになると思っていたと言ってくれて嬉しかったし、6人を繋いでくれたのがジェシーだったと知った時は胸が熱くなった。

 

あの位置でやっていたジェシーが、一緒にやるならこのメンバーだと選んでくれたことが嬉しかった。

基本的にジェシーの言葉は前向きで明るくて、ほかの5人もジェシーの言葉に鼓舞されているんだろうなと思う。だからこそ、これからもジェシーには変わらず自由にいてほしい。大声で笑い続けてほしい。

 

ジェシーSixTONESのシンボリックでいてくれることに感謝している。

 

 

 

私は、北斗のことがとても好きだ。そして、きょもほく厨だ。最初は、きょうもっちゃん!と、なんの遠慮もしないで大我くんに絡みに行く北斗が単純に可愛くて、きょもほくが好きになった。当時はこんな不仲売りされるなんて思ってもいなかった(笑)

 

バカレア組じゃなくなってからも、なんとなく北斗は大我くんと近くにいたような気がする。

 

私は、北斗といれば大我くんは安心だと思っていた。漠然と、北斗が一緒にいれば間違いないと思った。

 

それは、松村北斗のアイドル性を信頼しているからで、自他共に認める似たもの同士の北斗が一番、大我くんのことを理解して刺激を与えてくれる存在なのではないかとも思っていたからだ。それは今も思っている。

 

今ではメンバーとなり、最近では北斗がSixTONESの中で楽しそうに笑っている姿がたくさん見られてとてもうれしい。そして、北斗は大きな可能性を秘めていて、色々な方向で活躍していくことができる人だと思っている。これからも、北斗の活躍が見られることを楽しみにしたい。1番は、早くセルフプロデュース松村北斗のソロ曲を見たい。

 

 

最近の高地はとてもかっこよくて驚いてしまうことがある。きっと年齢を重ねるごとに魅力が増す人なんだろうなと思う。

 

私は最近きょもゆごの魅力に気が付き、ずぶずぶと沼にはまっている。髙地といると、大我くんが自然体でいられるからだ。それは、SixTONESにいる大我くんにとってとても大切なことだし、高地はSixTONESにとって、とても貴重な存在だと思っている。

 

SixTONESに就職してくれてありがとう。自分の武器を見つけようと必死な高地の姿を見て、とても素敵だと思った。だけど、高地はもう既にたくさんの武器を持ってると感じている。

高地は高地らしく、変わらずにいてほしい。

私は、みんなの精神的な支え柱の高地を信頼している。高地の笑顔を守っていきたい。

 

慎太郎には語り尽くせない想いがある。

SixTONESは、ほくゆごは言わずと知れたB.Iだし、J2も同じグループでやっていた。だけど、グループがなかった大我くんには、同じ時代を共有できる人がいない。

だからこそ、小さい頃から大我くんの側にいてたくさん喧嘩もした、そんな慎太郎と同じグループでデビューをすることが本当に嬉しい。

 

慎太郎のギャグや笑いが大好きだし、私も末ズは世界一おもしろいと思っている。

でも慎太郎の1番好きなところは、愛情が深くて真っ直ぐなところだ。そして、優しい。

きっとSixTONESはこれから、慎太郎の真っ直ぐさにたくさん助けられていくと思う。

慎太郎、変わらないでと切に願っている。そんな慎太郎が末っ子でいてくれるSixTONESは強い。

 

 

そして、樹。樹はある意味1番、大我くんのいろんな面を知ってると思う。手を焼いたり、嫌だと思ったこともあったんじゃない?(笑)と聞きたい。

 

バカレアではきょもじゅりがコンビだったし、同じ時期に大我くんは堀越に転校した。

前の学校に未練があり、馴染もうとしない大我くんを、樹がみんなとのパイプ役になり馴染ませてくれたと大我くんは話している。

 

席が前後だったり、大我くんが穏やかな友達とご飯を食べてる中、樹は集団の真ん中を歩きながら食堂に向かったり、一緒に屋上でサボったり、きょもじゅりの高校時代のエピソードは宝の宝庫だ。

 

樹はずっと京本くんと呼び続けていたし、大我くんが敬語をやめてと言っても、先輩なんで!っと頑なだった。私は樹のそこが好きだと思った。結局、大我くんが無理矢理きょも呼びを定着させた。大我くん余計なことを!と当時は思ったけど(笑)大我くんなりの、後輩の樹とこれから同じグループでやっていくための気遣いだったのかなと思う。

 

樹はSixTONESになって1番変わったのではと思う。樹がこんなに頭の回転が速くて、MCができる人だと正直思っていなかった。

いろいろな事があったけど、辞めてしまうのではと不安になったけど、樹が踏ん張ってくれた事に本当に感謝している。

Team SixTONESを束ねられるのは樹しかいない。樹に勝手に大きな責任を押しつけて申し訳ないと思っているが、これからもSixTONESの舵をとってほしい。

 

最後に。

 

京本大我くん。

 

改めて、本当にデビューおめでとう。

今までに大我くんを応援してきてよかったと何度も思ったけど、やっぱり応援してきてよかったです。

 

私は大我くんのジャニーズJr.人生の約半分しか知らないけど、ジャニーズJr.の京本大我に出会えたことが幸せでした。

 

思えば、8年という長い時間を大我くんと共に過ごしてきた。

仕事がしんどい時、プライベートで辛い事があった時、大我くんの活動に歌声に元気をもらい続けてきた。元気の源は大我くんだった。

 

少し寄り道をするつもりで好きになったけど、気づけばしっかりと大我くんとSixTONESとの道をしっかりと歩いていた。

 

振り返ると色んなことがあった。デビューも見えなくて、苦しくてもう大我くんのファンを辞めようと思う時もあった。

 

SixTONESへの批判もあった。その度に悔しかったけど、私の中で1番はSixTONESだという思いが揺らぐことはなかった。

 

 

大我くんの歌が本当に大好きで、どうしても大我くんの歌をCD音源として手に入れたくて、その夢を諦めきれなかった。せめて大我くんのデビューを見届けたいと思いながら、毎日毎日過ごしてきた。

 

 

大我くんは、どんな形でも自分の夢を叶えるから、だからこの声についてきてとファンにメッセージをくれた。

だからここまで信じてこられた。

 

あの時、自分の好きの気持ちを貫いてよかった。大我くんの位置が後ろに下がった時も、戦友たちがどんどん辞め、かつてのシンメや大親友が辞めた時も、不安な時なんて山ほどあった。消えてしまうのではと怯えたこともあった。

 

 

SixTONESがあるから安心だなんて、容易く言えなかった。

 

だけど、大我くんは本当に頑張ってくれた。私は他の京本担のように、大我くんを叱咤激励しながら伸ばすタイプではないし、現場だって自分の無理のない範囲でしか行かなかった。だけど自分なりに大我くんを好きな気持ちを大切にしてきたし、真剣に応援してきたつもりだ。

 

 

そして今日この日を迎えられた。

 

 

 

このデビューにはいろいろな想いの人がいる。私だって、全てが望んでいた結果ではない。

 

だけど、大好きな大我くんが私の大好きなグループの1員としてデビューを果たす。長年の私の1番の夢を大好きな大我くんに叶えてもらえるのだから、私のおたく人生はとても幸せだと思う。

 

 

大我くん、いよいよですね。

これからどんな事が起こるのか、大我くんがどんな風になっていくのか、未知だよね。

 

大我くんは変わりたくない、デビューをしたくないと口にしたけど、その言葉を聞けた時よかったと思った。

 

大我くんが飾らない言葉で話してくれて安心した。

 

上手い言葉で話さなくていいから、想いを歌やパフォーマンスに込めてくれたらこっちでちゃんと解釈するから。深読みするかもしれないけど!(笑)

 

だからどんなに環境が変わっても、大我くんの歌や想いを、パフォーマンスにのせて届けることだけに集中してください。それが今の私の願いです。

 

大我くん、大きな人になってね。

きっと寂しくてしかたなくて、昔を懐かしんでしまうこともあるけど(笑)

 

 

だけど大我くんとSixTONESなら、もっともっと大きなアーティストになれると本気で信じています。

 

私は大勢の中でパフォーマンスする大我くんを、見つけることが好きでした。

今月は誰と一緒に歌うだろう、大我くんはどれくらいテレビに映るだろうと、ドキドキしながら少クラを見てました。

雑誌の記事も、大我くんの載った1ページがとても貴重でした。

テレビの音源の大我くんの歌声を聞きながら、CDとして大我くんの歌が聴ける日を、何度も何度も想像しました。

現場もたくさん足を運んで、大我くんとの大切な思い出も増えました。

大我くんを応援してたから経験できたこと、知れた世界、出会えた大切な人がたくさんいます。

たくさん笑ったし、悔しいことも震えるくらい嬉しいことも、涙が出るほど感動したこともありました。

今思えばどれも貴重なJr.時代の大我くんとの思い出です。

 

ジャニーズJr.の大我くんとの思い出は私の宝物だから、大事に心の中に閉まっておきたい。

 

 

そしてこれからは、SixTONES京本大我の声を信じていきたい。

 

 

 

 

ジャニーズJr.京本大我くん。

14年間本当にお疲れ様でした!

 

 

楽しくて幸せな時間をありがとう。

心から応援したいと思わせてくれてありがとう。

夢が叶う瞬間に立ち会わせてくれてありがとう。

 

 

これからも一緒に夢を追いかけさせてね。

 

ジャニーズJr.卒業おめでとう!